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ごあいさつ

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私が医者になった頃は、救急患者の受け入れ拒否等でたらい回しの問題が頻発し、医療環境が未整備の時代でした。私はこの状態を変えるべく救急病院をつくりたいとの思いで昭和57年(1982年)6月1 日、65 床の東和会病院を開設しました。その日から約6カ月間、病院で寝泊まりしましたが、24 時間対応していたことと、国道171 号線に面しており搬入しやすいこともあり、2カ月後には満床となり、あっという間に外来も活況となりました。

我が国は戦後の復興一色で好景気が続き、老人医療の無料化など国、地方で大盤振る舞いをしてきましたが、少子高齢化が顕著となり老人医療費などは急激に膨張し、病床規制が始まりました。そのような趨向の中、東和会病院は65床から140床へ増築、増床しました。医療法人東和会と組織変更を行い、二次救急医療機関として東和会病院を第一東和会病院と改め、また新たに大阪府から休院病院の再開依頼を受け、第二東和会病院を新築開院しました。

入院中の患者さまの中には、自宅に帰るまでにあと少しのリハビリテーションや日常生活動作訓練などを必要とされる方が多数おられることを憂慮し、介護保険法の開始に先駆け平成9年(1997年)に第二東和会病院に併設型の「老人保健施設サンガピア館(100床)」を開館しました。続いて訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所東和会、訪問介護ステーションと順次開設しました。

そして介護保険が開始された平成12年に、茨木市安威地区に「在宅複合型老人介護施設 天兆園」を開設し、同時に社会福祉法人 恭生会を設立、同地区に訪問看護ステーションを開設しました。また同年に第一東和会病院内にデイケアセンター、ケアプランセンターを開設しました。現在、天兆園では茨木市より委託され、地域包括支援センターが併設されています。

介護保険のスタートとともに、私は高槻市における介護認定委員会の委員長を拝命し、約10年間その大役をまっとうし、後任に譲りました。介護保険開始とともに、矢継ぎ早に前述した事業所を開設、運営し、平成14年(2002年)に高槻市井尻に於いて「総合介護福祉施設 和朗園」を開設する運びとなりました。現在高槻市より委託され五領上牧地域包括支援センターも同施設内に開設、運営しています。
平成15年(2003年)には、第二東和会病院の病床103床を第一東和会病院に合体し243床として再スタートし、第二東和会病院を療養型病院(93床)として開設しました。

また同年に、元滋賀医科大学第二外科グループ、藤村昌樹先生率いるグループを招聘し、第一東和会病院で内視鏡外科センターを設立し、切らずにできる手術センターとして、この三島地域では盤石の地位を築きました。

平成18年(2006年)には、第一東和会病院より徒歩3分の宮野町にあった松下電器産業の独身寮を譲り受け、99床の介護付有料老人ホームを開設し、1階部分には、市からの要望で「みやの愛光保育園」を併設し、さらに「楽々園クリニック」を併設し、診療を開始しました。

「みやの愛光保育園」での園児の育成を見て、子どもの才能は無限であり、0才~5才までに人格が形成されることを学び、子どもの育成の重要性を肌で感じ、平成24年(2012年)に、2カ所目の保育園「かんまき和光保育園」を開設しました。

また、第一東和会病院に隣接する、国道に面した約200坪の土地を購入し、長年の要望であった救急部門と手術センター(6室)、SPDサプライと連携した手術室、血管撮影室、3階医局等病棟の増改築が平成24年(2012年)に完成し、環境の整備を行いました。2005年に日本医療機能評価機構の認定を、2010年には更新認定を受領している第一東和会病院は、急性期病院として十分な役割を果たし、内視鏡外科、整形外科、脳神経外科、泌尿器科、婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、脊椎脊髄センター等、専門手術件数は2,370例を越えています。救急搬送も月に260件を越え、微力ながら地域医療に貢献していると自負しています。

1,300人を越えた職員は、それぞれの持ち場で尽力してくれています。今後はすべての職員が大局的にグループ全体の連携、利用、互助のもと、一体となって高槻市民のために鋭意努力をして、病院から在宅まで切れ目のないサービスを提供できるよう、さらに研鑽してくれることを祈念しています。

医療法人 東和会グループ 理事長 飯田 稔